プログラム

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特別講演1

天神信仰と太宰府天満宮

日時:
11月26日(金)13:30〜15:00
会場:
第1会場(福岡サンパレスホテル&ホール「大ホール」)
座長:
上野 道雄(NHO福岡東医療センター 院長)
太宰府天満宮禰宜(神官)
味酒 安則

 大宰府、「おおきみこともちのつかさ」と呼ばれた西の都は、なかば運命づけられた歴史のいとなみの中で誕生した。七世紀中頃、超大国の隋が滅亡し、この後に興った唐と朝鮮半島の新羅が、隣国の百済を滅ぼした時、救援に出兵した大和朝廷軍が大敗を喫した直後のことである。それより、約五〇〇年の間、大宰府はこの地を動くことなく、外交の最前線として、九州の政治の中心として、わが国防衛の拠点としてあり続けたのである。

 大宰府は、文化を受け入れる窓だった。それはまず、都城建設に生かされた。基盤の目のような大路が東西南北に走る条坊制が用いられた都市計画で、古代における最新の文化情報に裏付けされたものといえる。もちろん、平城京も平安京も、この大宰府を模して造られた。しかし、そのスケールは、大宰府の比ではなかった。大宰府は、世界に対して、その両翼を広げていたのである。他の都城が、それぞれの歴史を担って殉じたのに対して、大宰府は、常に西に開かれた明るい国際都市として存続した。

 そして、大宰府を目指して、多くの人がやって来た。この西の都は、誰をもやさしく受け入れる包容力を備えていた。この魅力に人々は夢をふくらませた。今、この地に残る神社や寺院そして史跡や遺物の中で、歴史絵巻を織りなした偉人たちのドラマが動き始めるようだ。大宰府の風に吹かれると、日本の歴史を駆け抜けた偉人たちの息づかいが伝わるのである。

 延喜三年(九〇三)、古代きっての学者政治家菅原道真は、配所の大宰府南館にて逝去した。その遺骸は、 京より追従した門弟味酒安行によって東北をめざして運ばれたが、その牛車が突然動かなくなった。生前、道真は、自分の遺骸は牛の止まった処に埋葬するように、京へ帰ることは望まぬ、と安行に遺言していた。その二年後、大宰府政庁よりの許しもあって、安行は道真の遺徳を偲んで祠廟を建てた。これが太宰府天満宮の始まりである。

 そして、今、この大宰府に新しい歴史の波動が聞こえ始めた。「九州国立博物館」の開館である。長い眠りから覚めた不死鳥のごとく、二十一世紀に再び、アジアの文化拠点として舞い上がり、その姿が眼前に広がる。

講師プロフィール
太宰府天満宮 宜(神官)
太宰府天満宮 総務統括長
太宰府天満宮宝物殿(博物館)  主管学芸員
福岡女子短期大学 客員教授(博物館学)
福岡県立美術館協議会 委員
九州国立博物館文化財保存修復施設運営委員会 副委員長
九州文化財国際交流基金 理事長
他 
【所属学会】
1985年 儀礼文化学会
2006年 文化財保存修復学会
2006年 社叢学会

特別講演2

日本の医療界をリードする国立病院機構
優れたチーム医療体制を構築するリーダーへの提言

日時:
11月27日(土) 11:00〜11:55
会場:
第1会場(福岡サンパレスホテル&ホール「大ホール」)
座長:
松本 純夫 (NHO東京医療センター 院長)
Pediatrix Medical Group of Tennesee
バンダビルト大学看護学部大学院新生児NP専門課クリニカルインストラクター
Eklund 源 稚子

 21世紀を担う医療者のリーダーが福岡に集合し、将来を見つめる。日本最大の病院ネットワークである国立病院機構と、東京医療保健大学は画期的なパートナーシップを組み、将来の日本になくてはならないチーム医療構築のために貴重なメンバーの養成を可能にしてきた。そればかりか、2010年4月には、草間朋子看護学研究科長・学部長のリーダーシップのもと、東京医療保健大学東が丘看護学部及び大学院看護学研究科が創設され、優秀な人材を集めて日本初の試みを開始した。それは、病院施設内の急性期分野を含む、広い範囲において、チーム医療へ貢献をするための知識と技能をもつ看護人材の養成である。これは、看護教育の歴史においてばかりではなく、日本の医療の歴史において、大変貴重である。国立病院機構が歴史の転機を迎えているとも言えるのではないだろうか。

 2010年3月に出された、厚生労働省”チーム医療推進に関する検討会”の報告書は、優秀な看護人材の能力と可能性を大いに社会へ還元するための一つの提案をした。医師と連携する事により、看護師が特定分野に置いて活躍を拡大する、特定看護師(仮称)である。それは、チーム医療を前進させるために不可欠な要素である。

 チーム医療は、グローバル現象となっているといっても言い過ぎではない。1965年に小児分野で始まったナースプラクティショナー(NP)という職種は、豊かな看護経験の上にさらに高度な医療知識を積み上げ、医師を含めた他職種と提携し、米国の医療へ貢献をして来ている。NPは社会とともに進化をしており、専門化も進み、NPの見られない分野は医療界にはないといっても言い過ぎではない。専門分野は、新生児集中治療、 ウィメンズヘルス、老年、精神、小児、成人、ファミリーなどで、それぞれ認定試験のある国家資格である。資格を持つNPらは診察、処方等幅広い医療を行っている。NPは都心でも過疎地でも地域の医療をになう医療者として貴重な存在である。

 20年以上の米国の医療環境での体験は、まず、人間として成長する環境を提供し、さらに、現在新生児集中治療分野におけるNPとしての感性を磨く環境を可能にしている。それは、優れたチーム体制の中で医療を体験するチャンスが与えられたからである。役割分担という限りのあるものではなく、役割と責任共有というフレキシブルな世界である。

 医療の格差をなくすという貴重なテーマを考えるにあたり、新生児専門の急性期NPの現場から、様々な職種の連携の姿を実際に紹介し、チーム医療のあり方、応用、可能性を探りたい。国立病院機構ならではのチーム医療の将来は、日本の医療に限りない可能性を提供する事を願って止まない。

講師略歴
現在 新生児ナースプラクティショナーとして新生児医療グループに所属。テネシーナッシュビル市内の複数のNICUをグループで管理
1991年 サウスカロライナ州、Bob Jones University(ボブジョーンズ大学)看護学士取得後、同州グリーンビル市内の総合病院のCCU、ICUから始まり、その後、ジョンズホプキンズ大学胸部外科/移植外科、テネシー州立大学病院CCUを経て、同大学NICUへ異動(テネシー州、ノックスビル市)。その後、バンダビルト大学病院NICU勤務(テネシー州、ナッシュビル市)
2002年 バンダビルト大学看護学部、大学院新生児NP専門課程卒業、新生児NP資格試験合格。米国新生児NP学会会員
2003年 Mid Tennessee Neonatology Associatesに、所属現在に至る(名称が2009年に変更になり、現在Pediatrix Medical Group)
2005年 バンダビルと大学看護学部インストラクターとして、必要に応じて新生児NP学生指導に参加。
2007年 国際新生児看護協会(Council of International Neonatal Nurses, COINN)の活動に参加、世界に置ける新生児医療のスタンダード向上、看護の持つ医療の質への貢献の可能性と看護教育強化に強い関心を持つ。国際新生児医療ケア、後期未熟児ケアへの提言作成などが最近の活動。

市民公開講座

氷河の流れのように ―アフガニスタンでの医療支援―

日時:
11月27日(土) 15:00〜16:30
会場:
第1会場(福岡サンパレスホテル&ホール「大ホール」)
座長:
米倉 正大(NHO長崎医療センター 院長)
ペシャワール会 現地代表
中村  哲

 ペシャワール会は1983年、パキスタン・ペシャワールでのハンセン病診療と共にスタートした。ハンセン病診療を柱としつつ、多い時には一つの基地病院と10カ所の診療所を運営してきた。しかし米軍の診療地域への侵攻や「反テロ戦争」による治安悪化で、現在では1カ所の診療所だけが機能している。私たちの診療活動を妨げたのは、米軍や治安悪化だけではない。2000年から打ち続く大旱魃による渇水、砂漠化がさらに追い討ちをかけた。旱魃で診療所のある村がまるごと難民化することもあった。診療所があっても水がないことには、村人の生存そのものが不可能な事態まで追いつめられていたのである。

 「飢えと渇きは薬では治せない」と、私たちは1600本の井戸を掘り、2003年からは農業用水路の建設を始めた。その25.5キロの用水路によって復興した田畑は3000ヘクタール。およそ15万人の生存を確保することができる。工事には連日500人ほどの作業員が従事したので、七年間で70万人の雇用が発生したことになる。用水路工事が無ければ難民になるか、軍閥や米軍の傭兵になるしかない人々である。用水路工事が巧まずして地域の治安安定に寄与したのである。総工費は約15億円、全て会員の会費と支援者の寄付による。

 用水路事業は、日本の伝統工法を参考とした。コンクリートと鉄筋中心の近代工法でなく「蛇籠工」や「柳枝工」という江戸期に完成した工法を、なぜ採用したのか。用水路は決壊するものである、ということを前提にした時に、コンクリートだと土地の人々にとってその修復は、技術的・財政的にみて困難を伴うことになる。ところがアフガン人は家を石と泥と日干しレンガで築き、子供も手伝う。だから男たちは生まれついて石積みの技術をもっている。彼らにとって蛇籠であればその修復・保全は難しいことではない。

 柳枝工というのは、護岸した土手を柳の植樹で保全する工法である。柳の根は水を求めてその蛇籠の石の間にネット状に入り込み絡み付く。蛇籠の針金が切れる頃には、柳の根がしっかり石を抱きかかえる。柳は防風林・防砂林にもなり土石流の歯止めにもなる。石の間には生き物も棲息する。今風に言えば、環境にやさしい治水工法である。

 私たちは用水路を完工し、15万人の生存の基盤を確保した。イスラム教徒である農民たちの精神の拠り所であるモスクとマドラサを建設した。さらに用水路の最終地点であるガンベリ砂漠を開墾して「自立定着村」を建設している。ここには用水路の建設現場で治水技術を習得した作業員=農民の家族が入植し、農業をやりつつ用水路の修復・保全を行うことが期待されている。

 つまり私たちは、①用水路=生存の基盤 ②モスク・マドラサ=精神の拠り所 ③自立定着村=修復・保全機能を建設することで、アフガニスタンの1地域において、その復興支援モデルを提示できたのではないか、と考えている。

講師略歴

1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒。専門=神経内科(現地では内科・外科もこなす)。国内の病院勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来26年にわたりハンセン病をはじめ貧困層の診療に携わる。1986年にアフガン難民診療チームを発足(のちのJAMS=ジャパン・アフガン・メディカル・サービス)。以後アフガニスタン国内へと活動を広げ医療過疎地の東部山岳地帯に3ヶ所の診療所を開設。1996年からハンセン病多発地で医療過疎地でもあるパキスタン北西辺境州山岳地2ヶ所で診療を開始。1998年には基地病院PMSをペシャワールに建設。また山岳地帯の診療所を拠点に巡回診療も開始した。 2000年以降は、アフガニスタンを襲った大旱魃対策のための水源確保(井戸掘削 約1600本、カレーズ38ヶ所の復旧)事業を実践。

2001年、アフガニスタンの首都カーブルに5ヶ所の診療所を開設し、旱魃による国内避難民の診療を開始。 同年10月、同地で餓死線上にあるとされる避難民へ越冬可能な分の食糧配給を行う。2002年2月からアフガニスタン東部で農地回復のため「緑の大地計画」を起こし直径約5mの灌漑用井戸を13基掘削。同地区に試験農場約8000uを設け乾燥に強い品種の作付けや土壌の改善によって生産量を上げることを目的とした農業事業を始めた。

旱魃が深刻化する2003年3月、総合的農村復興を計画し灌漑用水路掘削を開始。2010年3月、13ヶ所の貯水池=調整池のある全長25.5キロの水路が開通した。

水路によって耕作農地が広がるにつれ推定15万人以上の難民が帰還した。アフガン農村社会・地域共同体のモスクとマドラサ(伝統的な寺小屋式教育機関)を建設し同年2月完工し地域住民へ譲渡した。

年間診療数約7万人(2009年度)。

指定講演

国立病院機構の診療情報分析の可能性
〜DPCデータの分析結果に焦点をあてて

日時:
11月27日(土) 11:00〜11:30
会場:
第3会場(福岡国際会議場 5階「501国際会議室」)
座長:
泉 真(NHO管理担当理事)
NHO本部総合研究センター 診療情報分析部長
伏見 清秀

 2010年4月に機構本部に設置された総合研究センター診療情報分析部は、全機構病院からDPCデータとレセプトデータを収集してNHO診療情報データバンクを構築し、医療の質の向上と均てん化につながるエビデンスの集積を目標に活動を開始している。

 第一に、既存のNHO臨床指標の見直した新指標の作成と算出を行っている。各病院の負担を極力軽減するためにDPCデータ等の二次データ利用して効率的に指標を算出する方法を導入し、具体的な診療行動の改善につながるプロセス指標と、改善の成果を評価するアウトカム指標を組み合わせた、広範な診療領域をカバーする100程度の指標を設計した。併せて、厚生労働省から採択された「医療の質の評価・公表等推進事業」を進めている。

 第二に、各NHO病院の診療機能の向上と地域における役割の明確化に資する分析を進めている。分析視点としては、@診療分野別実績や救急医療、専門医療への貢献、A効率的な医療の促進の観点からの在院日数、後発医薬品、診療密度の分析、B診療行為の標準化・最適化を目指す観点からの抗菌薬、血液製剤等の使用実態のばらつき、ガイドライン・コンプライアンス状況の定量的評価、C地域における役割・機能の可視化の観点からの診療分野別地域シェア、隣接他病院との診療機能の分化・連携の評価等を行っている。

 第三に、電子カルテ・検査データ等を含めた統合的な診療データの活用方法の検討を進め、より高度な臨床指標の開発や医療データベースの構築などNHOネットワークの特性を活かした先進的な情報システム研究を進めている。

 これらの分析により、我が国の医療をリードするメルクマークとなる情報をNHOグループから発信できることが期待される。

講師略歴
昭和60年 東京医科歯科大学医学部卒業
昭和60年 東京医科歯科大学医学部第二内科入局
平成7年〜 東京医科歯科大学医学部第二内科助手(腎臓内科)
平成9年〜 東京医科歯科大学医療情報部助手
平成10年〜 厚生省保険局医療課 医療指導監査室 特別医療指導監査官
平成12年〜 東京医科歯科大学大学院医療政策学講座医療情報システム学分野、
 同医学部医療情報部 助教授(平成19年より准教授)
平成21年〜 国立病院機構本部特別顧問(総合研究センター設立準備担当)
平成22年〜 国立病院機構本部総合研究センター診療情報分析部長
 東京医科歯科大学大学院医療政策学講座医療情報システム学分野、 同医学部医療情報部 教授